セルヒオ・ラモス(1986年3月30日 - )は、スペイン・セビリア出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリード所属。スペイン代表。ポジションはディフェンダー。
6歳でスペインの地元カマスのクラブチームに入団、8歳でセビージャFCに入団。同期には元スペイン代表ヘスス・ナバス、アントニオ・プエルタがいた。
2004-05シーズン、トップチームに昇格し41試合に出場。すぐに活躍が評価されレアル・マドリードに移籍。移籍金はスペイン10代選手として最高記録の2700万ユーロ(約35億円)。背番号はフェルナンド・イエロの4を譲り受けた。
2005-06シーズン、すぐさま主力としてプレー。イタリア代表ファビオ・カンナヴァーロ、ドイツ代表メッツェルダー、ポルトガル代表ペペ、スペイン代表ミチェル・サルガドらとポジションを争いつつ、センターバックや右サイドバックでプレーした。
2005年11月19日、サンティアゴ・ベルナベルのクラシコで、ロナウジーニョが圧巻のドリブルゴールを2発決める。そのときに対峙したDFがセルヒオ・ラモスだったが、成すすべなくやられてしまう。観客は宿敵バルセロナの選手にスタンディング・オベーションを送り、歴史的な屈辱として語り継がれている。
2010年11月29日、カンプ・ノウのクラシコで0-5の大敗を喫する。この試合でセルヒオ・ラモスとマルセロが両サイドバックを務めたが、まったく機能せず一方的に攻め込まれ、最後はラモスがバルサDFプジョルを突き飛ばして退場処分を受けてしまう。この時点で移籍後5度目の退場、175試合にして先輩イエロの退場クラブ記録と並んでしまった。
2013-14シーズン、アトレティコ・マドリードとのCL決勝戦、1点を追う後半アディショナルタイムにヘディングゴールを決め、ラ・デシマ(10度目のCL制覇)に貢献。
2015-16シーズン、イケル・カシージャスの後を継いでキャプテン就任。ふたたびマドリード・ダービーとなったCL決勝で先制ヘディングゴールを奪い、MOMに選出。決勝戦の異なる試合で得点をあげた唯一のDFとなり、後の3連覇にもつながる大きなタイトルとなった。
スペイン代表でもワールドカップやユーロなど主要タイトル獲得に貢献。
2007年8月、ユース時代をともにした親友アントニオ・プエルが逝去した後は、彼が背負った背番号15を継いでいる。2010南アフリカ大会優勝後には「この優勝を亡きアントニオ・プエルタに捧げる」というコメントを残している。
プレースタイルは、白い巨人の闘将。
史上最攻サイドバック・マルセロのパートナーとして『世界で一番難しいセンターバック』という任務をこなす。
マルセロがあけた左のスペース、苦手とする空中戦などをカバーしつつ、強烈な個で立ちふさがる。アンカーのカゼミーロと連携した時は技術と迫力満点のデュエルで敵を圧倒。マルセロが後ろを気にせず上がりまくれるのは、こうしたラモスとカゼミーロの存在が大きい。
その空中戦を活かした得点力が絶大で、最近15シーズン連続で得点中。PKの名手でもあり、ロナウドが抜けた18-19シーズンからは第1キッカーを担当している。
若年時は右サイドバックでプレーし、技術も充分に高い。今シーズンは右サイドバック・カルバハルが例年以上に高い位置を取るため、ラモスから右サイドへ高速サイドチェンジを蹴ることも増えている。
守備面では激しさが目立ち、警告や退場の数でも話題に事欠かない。17-18CL決勝でモハメド・サラーを負傷させた際も、彼を徹底マークしたがゆえのことだった。そのプレースタイルから厳しい批判にさらされるものの『相手がボールを持つ前に仕留める』技術は世界屈指だ。
まったく動揺も後悔もしない闘将セルヒオ・ラモス、今後も彼のスタイルが変わることはないだろう。なぜなら『世界で一番難しいセンターバック』の代役など存在しないのだから。
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