古代品種繁多的糕點,有些吃過,有些不曾聽過
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作者:計白當黑
今天吃什麼?是中國人每天必須經歷的靈魂拷問,這是對美食提出了更高的要求。其實,只要在吃貨面前,擺上一盤可口的點心,這個問題很快就能迎刃而解了。要想撥撩吃貨的心,就得抓住他們的胃,點心恰好做到了這一點。
歷史上最早的點心應該是茶食。
先秦時期,民間用茶葉原汁煮羹為食。漢晉的茶食略有變化,文人喜歡在茶湯放點佐料調味。唐宋時期,百姓以茶為媒介,開始製作各色食品。隨著時代的發展,茶食成為點心的一部分。
此外,東晉干寶在《搜神記》中,出現了小食一詞,這詞原意是指早餐,後來有了點心的意思。南宋文人吳曾撰寫的《能改齋漫錄》中,認為「世俗例以早餐小食為點心,自唐代之時,已有此語。」說明從唐朝開始有「點心」這個詞了。
伴隨著茶食和小食的融入,中式點心品種多樣,口味豐富。按種類分,點心分為包、餃、糕、團、卷、餅、酥等,在古代,特色的飯、粥、面等主食,也是屬於點心的範疇。從外形上看,點心有幾何、象形和自然三種形態。在口味上,點心偏重於咸、鮮、甜等味道,有些點心復合了幾種味道。
豚皮餅
北魏賈思勰編撰的《齊民要術》中記載了一種的麵食。「湯溲粉,令如薄粥。大鐺中煮湯,以小勺子挹粉,著銅缽內,頓缽著沸湯中,以指急旋缽,令粉悉著缽中四畔。餅既成,仍挹缽傾餅著湯中,煮熟。令漉出,著冷水中。酷似豚皮。澆麻酪,任意,滑而且美。」
具體做法是開水和米粉,調成粥狀米漿。燒開一鍋水,把米漿舀入漂在開水上的銅盤內,銅盤快速旋轉,米漿貼滿銅盤後,餅燙熟後,倒入開水,煮熟撈出,放進冷水。餅的口感韌性十足,與豬皮類似,因此得名「豚皮餅」。
巨勝奴
燒尾宴是盛唐上流社會流行的宴會,共有五十八道,包括冷菜、熱炒、燒烤、湯羹、甜品、面點等品種。巨勝奴是其中的一道點心。北宋學者陶谷認為巨勝奴是「酥蜜寒具」,意思是用酥蜜製成的寒食節特色食品。
巨勝奴的名字,很霸氣,也很神秘。《神農本草經》記載:「胡麻一名巨勝。」原來巨勝是芝麻的代稱。奴,和小麥有關。唐朝人把小麥的黑色衍生物叫做麥奴。《本草拾遺》記載:「(麥奴)即麥穗將熟時,上有黑黴者也。」
明朝李時珍在《本草綱目》對寒具有了明確定義:「寒具即食饊也,以糯粉和面,入少鹽,牽索紐捻成環釧形,油煎食之。」由此可以推斷,寒具是油炸食品。巨勝奴是用黑芝麻混合奶酪做成環釧狀的小面點,油炸之後,淋上蜂蜜即成。簡單來說,它就是如今常見的蜂蜜小麻花。
酥黃獨
南宋詞人林洪同樣也是個吃貨,他的《山家清供》記錄了一種點心:「雪夜芋正熟,有仇子曰從簡載酒來,扣門,就供之。乃曰:煮芋有數法,獨酥黃獨世罕得之。熟芋截片,研榧子、杏仁和醬拖面,煎之且白侈為甚妙。詩云:雪翻夜缽裁成玉,春化寒酥剪作金。」
把香榧和杏仁碎用鹽醬調味,拌入粉漿,用熟芋頭片拖面油炸,炸熟食用。油炸的焦香,配合濃郁的醬香,口味豐富,欲罷不能。焦脆的外殼,包裹著軟糯的熟芋,層次分明,美味可口。南宋人給這道點心形象地取名為「酥黃獨」。
古剌赤
《居家必用事類全集》是元朝無名氏編撰的家庭日用百科全書。這本書記載:「雞清、豆粉、酪攪勻,攤煎餅。一層白糖末、松仁、胡桃仁,一層餅。如此三四層。上用回回豆油調蜜澆食之。」 這是古代面點古剌赤的做法。
古剌赤的做法是用雞清、豆粉和奶酪調成糊狀,攤成餅狀,再以白糖、松仁和胡桃仁作為第二層,如此層疊三四層,最後用回回豆油或酥油澆汁。回回豆原產裡海,公元一世紀傳入中國,在南方地區多有種植,民間將回回豆列入了食譜,用來製作粉絲、涼粉、面條、豆餡等。其實,回回豆有個很洋氣的名字,它叫鷹嘴豆。
翠縷面
還有一種麵食,也記錄在《居家必用事類全集》裡。這種面「采槐葉嫩者,研自然汁,依常法搜和,扞切極細,滾湯下。候熟過水供,汁葷素任意,加蘑尤妙,味甘色翠。」面的特殊之處在於,麵糰加入了槐葉汁,和勻之後,搟平切條,面條極細,色澤翠綠,賞心悅目,這道面因此叫做翠縷面。
唐朝時,就出現了翠縷面。詩人杜甫有詩專門讚歎翠縷面,詩曰:「輕輕高槐葉,採集付中廚。新面來近市,汁滓宛相俱。碧鮮俱照著,經齒冷於雪,君王納晚涼,此味亦時須。」李時珍在《本草綱目》中認為,槐葉「味甘性平」,對於邪氣、難產、尿血、便血、痔瘡等病症,有不錯的療效。
帶骨鮑螺
明朝有一種點心,被當時的文人譽為「天下至味」。散文家張岱在《陶庵夢憶》中介紹:蘇州當地有人把乳酪與蔗糖霜一起和面,「熬之濾之漉之掇之印之,為帶骨鮑螺,天下稱為至味。」這種點心的關鍵原料是乳酪,將其與蜂蜜、蔗糖拌勻,凝結之後,擠在盤子上,邊擠邊轉,形成底圓上尖、紋理清晰的小點心。由於當時製作乳酪的人很少,加上帶骨鮑螺入口即化,味道鮮美,深得吃貨歡心。說實在的,帶骨鮑螺和現在的酥皮奶酪十分類似。
小說《金瓶梅》中,李瓶兒會做帶骨鮑螺,溫秀才品評道:「出於西域,非人間可有。沃肺融心,實上方之佳味。」應伯爵形象地描述:「上頭紋溜就像螺螄兒一般,粉紅、純白兩樣兒。」李瓶兒死後,西門慶也沒了這口福。當他再次看到帶骨鮑螺,睹物思人,徒增傷感。
水粉湯圓
若論文人吃貨,清朝文學家袁枚堪稱資深美食家。他的《隨園食單》收錄了326道不同菜餚飯點。有一道「水粉湯圓」的做法十分特別。「用水粉和作湯圓,滑膩異常,中用松仁、核桃、豬油、糖作餡,或嫩肉去筋絲捶爛,加蔥末、秋油作餡亦可。作水粉法,以糯米浸水中一日夜,帶水磨之,用布盛接,布下加灰,以去其渣,取細粉曬乾用。」
水粉湯圓的重點在於水粉。把糯米浸水24小時,帶水磨粉,經過去渣和曬乾處理,得到細膩的糯米粉。用這種方法得到的糯米粉,就是常見的水磨粉。用它包裹松仁、核桃、白糖、豬油、豬肉等不同餡料,包成湯圓,滑爽彈牙,咸甜適中,著實好吃。不得不說,袁枚就是吃貨中的戰鬥機。
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古剌赤 在 知史 Facebook 的最佳解答
「人字形」的隋唐大運河,為何到後來被「拉直」成京杭大運河
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作者:計白當黑
唐朝詩人皮日休留有「盡道隋亡為此河,至今千里賴通波。」的詩句,詩中的「此河」指的就是大運河。人們通常認為隋煬帝楊廣修建了現在依然發揮作用的大運河。
其實大運河分為隋唐大運河和京杭大運河,前者南北走向,兼顧東西,是「人字形」的,後者縱穿南北,橫臥東南,呈「一字形」,到底是什麼原因拉直了大運河呢?
大運河的前世今生
大業元年(605年)三月,隋煬帝組織上百萬民夫,開挖連通黃河和淮河的永濟渠,拉開了修建隋唐大運河的序幕。整條運河全長2700公里,以洛陽為中心,北起涿郡(今北京),南抵餘杭(今浙江杭州),地跨京、津、冀、魯、豫、皖、蘇、浙等8個省市,綴連黃河、海河、淮河、長江、錢塘江等5大水系,是世界上開鑿最早、規模最大的運河。
隋唐大運河縱貫華北平原、淮河平原、長江三角洲、杭嘉湖平原,是隋、唐、宋時期的重要經濟命脈,它以漕運為主兼及其它商品運輸,不僅節省了巨大的物流成本,還帶動了運河沿線城市的經濟發展,同時,促進了北方少數民族文化和中原漢族文化的交融,促進了中華民族大家庭的生成、鞏固和壯大。
至元十八年(公元1281年),元世祖忽必烈下令對隋唐大運河實行局部修鑿,京杭大運河由此登上歷史舞台。儘管起止點相同,但它全長1797公里,途經京、津、冀、魯、皖、蘇等6個省市,主要水源由微山湖、昭陽湖、獨山湖、南陽湖等組成的「南四湖」補充。與隋唐大運河相比,京杭大運河縮短了903公里。至今,它仍然是重要的航運水道,與長城、坎兒井並稱「中國古代三項偉大工程」。
政治重心偏移,隋唐大運河命運堪憂
隋唐大運河惠及隋、唐、宋三朝,輻射長安、洛陽、開封、杭州、揚州等世界級大城市,奠定了唐朝的開元盛世和宋朝的經濟繁榮。可以說,在隋唐大運河的滋養下,奠定了唐宋數百年的長治久安、豐衣足食。
公元1272年,元世祖忽必烈遷都大都後,隋唐大運河愈發顯得不合時宜。當時的政治中心在大都,並非唐宋時期的中原腹地。隨著政治中心的東移,迫切需要江南輸送的錢糧物資。受到隋唐大運河走向的限制,物資經過多次水陸轉載才能到達目的地,運輸效率低下,增加物流成本。而江南地區在全國經濟總量中,佔有越來越重要的地位。隋唐大運河難以適應社會經濟交流的要求,必須進行升級改造,截彎取直。
中統三年(公元1262年),著名科學家郭守敬因「習水利,巧思絕人」,引起了忽必烈的重視。至元二年(公元1265年),郭守敬升任都水少監,成為當時興修水利的骨幹成員。至元十二年(公元1275年),郭守敬受命考察河北、山東山川地形。經過考察,他提出了拉直隋唐大運河的初步方案,以圖文並茂的形式,上報朝廷。
至元二十九年(1292年)春,身為都水監的郭守敬開始主持運河改道工程。在十年間,工程以江蘇清江為基點,在其南北兩南岸分別施工。清江北岸開挖「洛州河」和「會通河」,沿河的天然湖泊補充了巨額水量,船隻可直航天津,同時,開鑿大運河最北端的「通惠河」,運河從通州至大都積水潭,清江南岸鑿通邗溝和江南運河,抵達終點杭州。如此一來,京杭大運河初具雛形。清朝中期名臣朱軾稱讚郭守敬「所陳水利,言未盡從,然功烈赫赫」。
黃河水患頻發,隋唐大運河陣痛不止
從走勢來看,隋唐大運河分為「一撇一捺」兩部分。一撇是運河的下半部,自揚州始,運河向西北延伸,斜穿安徽,進入淮河流域,再經河南,接通黃河,到達洛陽。一捺是運河的上半部,運河從黃河轉向東北,流經河北,穿越海河,終至涿郡。
由於與黃河連接,給隋唐大運河帶來了不穩定因素。黃河中游穿行於黃土高原之間,河水中夾雜著大量泥沙,有「斗水七沙」之稱。據統計,黃河年輸沙量最多時達39.1億噸,年均輸沙量為16億噸。最高含沙量為920千克/m³,年均含沙量達37.8公斤/m³,因此,黃河是世界是含沙量最高的河流。
黃河裹脅大量泥沙,導致河道變窄、河床抬高、水利設施淤塞,形成地上河奇觀。出現洪水時,在巨大水量和泥沙的衝擊下,黃河下游堤壩極易發生潰堤,嚴重威脅兩岸民眾的生命財產安全。自公元前602年至1938年,黃河在2540年中,有543年發生決溢事件,總共決溢達1590次。隋唐大運河受到黃河水患的影響,下半部絕大部分故道已經埋入地下,唯有考古發掘才能證明它的存在。
地緣政治變化,隋唐大運河難挽狂瀾
隋文帝楊堅實現了南北統一後,在江南地區推行諸多加強中央集權的措施,造成當地門閥士族和關隴貴族之間的矛盾。開皇十年(公元590年)十一月,江南地區降而復叛,暴露出隋朝內部的裂痕和不穩定。
事實上,江南地區經濟發達,「賦出天下,而江南居十九」,關中地區作為首都,是全國的政治和軍事中心。隋煬帝通過隋唐大運河溝通南北,調動東南地區的錢糧,供養西北地區軍需消耗,雙方各取所需,達成戰略平衡,實現南北和諧共處。
隨著政治中心的東移,產生了新的地緣政治。南宋詩人辛棄疾曾坦言:「夫守江而喪淮,吳、陳、南唐之事可見也。」足見淮河流域對江南的重要性。明朝地理學家顧祖禹強調:「南直以江淮為險,而守江者莫如守淮」也就是說軍事上守江不如守淮。他還提出:「淮甸者國之唇,江南者國之齒。」由此確立了淮河和江南唇齒相依的戰略關係。
故此,將東西走向的隋唐大運河改建為南北走向的京杭大運河,無疑是一筆性價比極高的投資,不但可以利用高效的航運,進行戰略機動、兵員調配、物資供給等軍事行動,還能為南方提供軍事戰略屏障,使北方政治軍事重鎮和南方經濟重心有機結合,形成統一的整體。
不論隋唐大運河還是京杭大運河,是封建王朝保持生機和活力的經濟動脈,產生了特有而豐富的自然景色和人文資源。隋唐大運河被拉直,順應了南北政治、經濟、文化發展的需要,對時代進步起到了積極的推動作用。如果說隋唐大運河是弓臂,那麼京杭大運河就是弓弦,兩者合力,射出了中華民族偉大繁榮之箭。
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『月と金星』より抜粋
カクテルシェイカーのようによく冷えた中央線特別快速の中、レシピサイトで今晩の献立を考えていると同僚の牧さんからメッセージが入った。
『よ』
『よー』
『お疲れ』
『まだ経理部いる?』
『お疲れ様です』
『いや』
『そろそろ最寄りです』
『はや!笑』
『まぁたまにはね笑』
『牧さんはお決まりのやつですか?』
『からかう暇あるなら助け舟出してよ、、華金なのに、鹿島が私を離さない』
課長の鹿島さんは彼女が大のお気入りで、金曜はいつも仕事を増やして2人で残業し、20時頃飲みに誘うのがお決まりだった。
『笑』
『そうしたいのは山々ですが』
『うん、どうしようもない』
『あのさ、今日見たい映画あるんだけど、トムハーディ主人公のやつ。帰りにTSUTAYAで借りてく?』
その文面を見て僕は目を閉じた。
やってしまった。
一昨日の昼下がり、社食で山菜蕎麦を食べていると、珍しく彼女が声をかけてきた。
「どうしたんですか」
「だって。周り人いないし」
確かに、200席ある空間には僕たちをのぞいて4,5人しかいなかった。
「あらほんとう。でも仕事戻らないと鹿島さんに残らされますよ」
そう言うと、彼女は少しもじもじして言った。
「あのさ、金曜お邪魔してもいい?」
確かにそう言っていた。そして僕は予定も確認せず、蕎麦をすすりながら確かに頷いた。
きっと彼女の中では今夜のシナリオが緻密に練られていたに違いない。21時ごろ駅に到着、帰路で好物の肉まんとコーラを買ったらマッドマックスかブロンソンを観る。ダークナイトとインセプションも捨てがたいが、ノーラン監督のハーディは決まって脇役だ。そして映画が終われば午前2時のシーツで深い眠りにつく。
僕は卑しくも先約と彼女を天秤にかけた。
『すいません』
『今日弟が来ることになって、』
ありのままを伝えればきっといい思いをしないから、僕は一部だけを切り取った。
既読はついたが返答は遅く、腹の底が締め付けられた。
『そっか』
『まぁこればかりは仕方ない』
『あんまり会えないだろうし、家族団欒を楽しんで!』
『ごめんなさい、』
『気にしなさんな。明日死ぬわけでもあるまいし』
『来週ブロンソン観ましょう』
『え、なんで分かったの』
『好みそうだから』
『そっか笑 ありがとね』
『こちらこそ、ありがとう』
タイミングを失った曖昧な関係の果ては、一体いつ訪れるのだろうか。
列車の扉が開き、ホームに足をつけると、顔には茹だるような熱風が吹き付け、今夜は熱帯夜になると予感した。
巨大な看板が見下ろす駅前広場はくたびれて背筋が曲がったサラリーマンや出会いを求める溌剌とした若者で溢れている。雑居ビル群の隙間に張り巡らされた薄暗い商店街に入れば、魚の煮付け、肉饅、もつ煮に焼き鳥、色んな匂いの湯気が空間に立ち込めてすごい湿気だった。
僕は客引きを避けながら、地下の食品店で肉野菜を買い足し、一本裏手に入って桃色の壁が大変チャーミングなフィリピンパブ脇の階段を上がった。
薄っぺらい扉向こうの築50年2DKに期待できるものなんて何もありゃしない。生活に必要なだけの家具とオーディオと数本の植木鉢があるだけだ。
床に散らばるペットボトルや延長コードを避けながら僕は汗ばんだ服を脱ぎ、大窓を開けてベランダに出た。目の前には雑居ビルに囲われた小さな中庭と一本の街灯があり、そこでは子供達がキャッキャとボール遊びを、猫はシャーシャー喧嘩を、パブのママはゴンゴン洗濯機を回していた。
頭上の四角く切り取られた空には、藍夜に飲み込まれる夕焼けの中、淡い輪郭を持つ月と金星が寄り添うように輝いており、さながらムンクの星月夜のようだった。
「そんなもん吸い出しちゃって」
口元で紙煙草がじんわりと赤い火を灯す中、ママは言った。
彼女の会話の始まりはいつだって間が悪い上に好戦的で耳に障る。
「あれ、こりゃどうも。これから出勤ですか?」
僕はフェイスパックにヘッドタオルの大怪獣ダダもといママへ聞いた。
「暇ならうち手伝いなよ。先週ちょうど一人辞めたから」
「毛の処理してませんけど大丈夫ですか」
「客引きだよばか。つまんないボケしやがって」
「まぁまぁ。そういや、今日葉来ますよ」
そう言うと、彼女のフェイスパックは顔から剥がれ落ちた。
「えー!早く言ってよ!いつ来るの?」
「さぁ、特に聞いてないんで」
「聞けよ」
「時間あったら寄りますよ」
「なくても寄りな。成田屋のちゃんぷるーあるから食べさせて。あの子成長期なんだから」
「いつもすみません」
火を潰して部屋に戻ると、僕はたまっているオールナイトラジオを流しながら牧さんの歯ブラシやパジャマをしまい、床は念入りに掃除機をかけた。浅ましいことは自覚している。
『今まで本当に長い間、お世話になりました』
そんな言葉を聞いたのは3年前の春のこと、近所のバス停だった。
田村光は深々と頭を下げ、まだ小学生だった弟の葉とこの部屋を出ていった。
僕がうつむく彼を「またな」と強く抱きしめると、「本当にまたあるの?」と返ってきた。
「うん、絶対あるから、大丈夫」
そう言いながら、僕は彼女の目を見て頷いた。
「じゃあ、行くね」
「うん、元気で」
「樹も元気で」
光はとても穏やかな表情をしてバスに乗った。
車体が交差点を曲がって視界から消えた時、長い年月をかけて築いた自分の半身が死んだ気がした。
「こんな終わり方後悔するよ」
ママはそう言った。
「どうしようもないでしょ」
僕はそう言い、階段を上がった。
最低限のものが持ち出され、「捨てて」と告げられた穴あきのニットやダイアナのヒール、使い古したスケボーはあまりに生々しく、今でもクローゼットの隅に残したままだ。
随分昔、光へ告白をしたその日、彼女は僕を自宅に連れて行った。
煙草の煙が立ち込める古いアパートには痣のある母親とその恋人と、赤ん坊の葉がいた。
一目でその家庭に何が起きているか分かった。
そしてその日の夕方、僕はアパート脇のブランコでひどいフラれ方をした。
だから18になったら3人で住もうと言い返すと、彼女はくしゃっと笑った。
3人で7年間、この部屋で暮らした。働いてばかりで余裕のある暮らしなんて送れなかったけれど、幸せだった。葉を自分の弟のように、子供のように可愛がった。
入学式も授業参観も運動会も、僕は当たり前のように出席したし、色んな場所を3人で見て回った。
そして葉が人一倍努力家で、思いやりのある自慢の少年になった時、僕と光はとうに恋人ではなくなっていた。
彼らが去った晩、ソファに座って呆然としていると、葉から電話があった。
深夜零時の公衆電話からだった。
「もしもし」
「葉?どうした?こんな時間に出歩いちゃダメだろ」
「コウちゃんと同じ布団だから寝らんない、なんか部屋臭いし」
「そっか、それは寝られないな」
「もうほんとに戻れないの?」
「うーん、分からない。やっぱりちょっと難しいかもな」
「ほんとに俺のせいじゃないの?」
「それだけは違う。何度も言うけど」
「戻りたくないの?」
「戻れるなら、うん、戻りたいかな」
「俺も戻りたい。帰りたい」
「うん、そうだよね」
「うちに帰りたい」
血も縁も繋がらない少年のすすり泣きに、僕は携帯を押し当てることしかできなかった。
スピーカーから流れる宇多田ヒカルのニューシングルと共に鶏の一枚肉を卵にくぐらせていると部屋にチャイムが鳴り響いた。粘り気のある手のまま扉を開けると短髪になった葉が立っていた。
「えらい早くないか」
「部活早く終わったから」
「なんで息荒いの」
「走ってきた。何となく」
「若いって罪よねー」
僕はそう言いながら、彼の手に下がる成田屋のビニール袋を見た。
「あ」
「え、まじ」
僕が頷くと、彼は大きく溜め息を吐いた。
「まぁ、育ち盛りだから大丈夫。二人前食え。というかどうしたそれ」
襟足まで伸びていた彼のさらさらヘアーは3週間見ないだけで引き締まったツーブロックに変わっていた。
「変?」
「変じゃない。ただ垢抜けたなぁと」
そう言うと、彼は少し口元が緩んで嬉しそうにした。こんな素直な高校生この世にいるかねってくらい素直で、こっちが恥ずかしくなる。
「お、チキン南蛮!手伝うことある?」
「いやいいよ、ゲームでもやってろよ」
「えーそうですかー」
葉はテレビゲームを立ち上げて通信対戦をはじめ、僕はキャベツを千切りにした。
彼の高校進学を機に、二人は新高円寺から四ツ谷に引っ越したと聞いた。
二人がどんな物を食べて、話して、誰と暮らしているのか、僕は何一つとして知らない。
葉は彼女のことを話さない。話したがらない。
高温の油にくぐらせた鶏肉はパチパチと小気味良い音を立て綺麗なきつね色に揚がった。それから隣のコンロで醤油と砂糖とみりんベースの甘辛いタレを作り始めると、葉はゲームを止め、冷凍庫にあった残り物をひょいひょいと集めた。
「えー、いいのに」
「大したことしないよ」
「味噌汁?」
「うん」
僕はだしの素を渡し、彼は鍋に火をつけて具材を炒めた。改めて横目で見ると、身長は僕とそう変わらないし、体つきもがっしりし始めていた。
彼がまだ保育園の頃、仕事漬けの彼女は家を開けることも多く、大学生だった僕と彼は、よくこのキッチンにいた。
初めて彼の好物のチキン南蛮を作った夜、出来上がりはまずまずだったが、やや事有り気な表情の葉を見て僕は慌てた。
「ごめん、コウちゃんのと違った?」
そう聞くと、彼は首を横に振った。間違いなく揚げ物担当の自分に非があると確信したが、原因も分からず、僕は葉が残さず食べる姿をじっと眺めることしかできなかった。
一連の出来事を深夜に帰ってきたコウちゃんに話すと、彼女は静かに笑っていた。
「うちはさ、なんでか卵と小麦粉なんだよね。もしかするとお父ちゃん九州出身だったのかも。ほら、私顔も濃い目だし」
彼女は眉間の掘りをつまみ、金麦をぐびぐび飲みながらチキン南蛮もどきを食べていた。
「なんだ、美味しいじゃん」
「そりゃレシピ通り作ったからね」
「葉は贅沢なやつだなぁ」
食事を終えると彼女はすとんと眠り、朝になればまた働きに出る。襖越しの葉が起きないよう、僕たちはいつも明かりと声を絞って深夜のわずかな時間を過ごしていた。
「じゃいただきまーす」
葉は何とも行儀悪く、山盛り茶碗の上にどっさりと肉を乗せ、タレのしみた米をかき込んでいた。
「うまい!」
「そりゃ良かったよ。なぁ」
「ん?」
「彼女できました?」
僕がそう言うと、葉は僕を睨んだ。
「なんで?」
「当たっちゃったか」
「違うって」
「じゃあ気になる子?」
彼はいや、と首を傾げながらもゆっくり頷いた。
甘酸っぱすぎて叫びたくなったが、嫌われたくないので我慢した。
「写真ある?」
そう言うと、彼はスマホを取り出し、真剣に写真を探し始めた。
見せちゃうの、見せちゃうのか!本当にこいつには思春期がないのか!
ツーショットの写真に映る彼女はまぁ結構な美人で、こいつは面食いだと確信した。
「お、可愛いじゃーん。と言うかツーショット」
「普通に、体育祭の時のやつだし」
「いや体育祭でも二人じゃ撮らないだろ」
それから僕たちは彼女にアプローチするための戦略を紙に書いて練った。練りながら、かつての自分が使ったアプローチと同じものだと気づき、我ながら呆れた。
「焦らずゆっくりやりたまえよ葉くん」
僕は葉にチキン南蛮の一切れとトマトをあげた。
「トマトはいらない」
「贅沢なやつだな」
「樹はさ、彼女とかいないの?」
「え」
初めて聞かれた、そんなこと。
「ごめん、忘れて」
「いたら、どう思う?」
「うーん、まずはちゃんと紹介してほしい?かな」
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寶傑,你怎麼看?
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