《你沒有被呼召嗎?》
圖/文:蔡頌輝
本文原載於《華傳》季刊第69期
華傳網誌:https://www.gointl.org/magazine-69.php
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在神國事業裡(如,宣教),「呼召」似乎等同「護照」,沒有它就沒有人能投身在其中。
呼召意味著,在神國裡工作的人,沒有一個是出於「自願」,而是神的揀選。正如耶穌在地上服事年間,曾經對門徒說:「要收的莊稼多,做工的人少。所以,你們當求莊稼的主打發工人去收祂的莊稼。」(太九35~38)工人會出去收割,是因為莊稼的主打發他們。若莊稼的主沒有打發,就沒有工人能有權柄去做這事。
因著呼召這個觀念,基督徒曉得且深信宣教使命和地上任何一個地上的事業不同——它是榮耀的、有價值的、是永恆的,參與在其中的人也應當在心態上決然不同。然而,在現實教會生活中,許多人對「呼召」的認識卻是很片面的。這不僅僅影響他們對宣教事業的理解,也深深主導著他們對宣教事業的投入程度和態度,所以筆者決定撰寫此文,再思呼召這神聖課題,希望有助認清人對呼召常有的成見,建立更健全的呼召觀,並啟發讀者追求活出與呼召相稱的生命。
1. 共同的呼召 VS 個別的呼召
從得救的順序來看,在人蒙召去擔起某項任務之前,他先被召悔改、接受神的恩典。耶穌提到自己的使命的時候說道:「我來本不是召義人悔改,乃是召罪人悔改。」(路五32)此話的意思不是帶罪人進行特定的宗教儀式(如決志禱告、受洗等),而是呼召人去過一種新的生活方式——以神為中心的生活方式,這包括成為聖潔(帖前四7;彼前一15),過有盼望的人生(弗一18,四4),去祝福別人(彼前三9),並且要為主受苦(彼前二21),最終要的獎賞(腓三14)。關於事奉的呼召,可謂悔改之呼召的延續,兩者既不可分、也不應該分開。沒有一個人是蒙召悔改,卻沒有被召去事奉的。委身於使命就是我們被召去過的新生活項目之一。得救不單改變了一個人行事為人的準則,也改變了他人生的目標,以及他對自己人生資源和自身才華的運用,以致他所做的每一件事,都與掌管歷史之主所定的最終目標有關。
以上是每一個神子民共同擁有的呼召,從微觀的角度而言,我們相信神對個人也有個別的呼召。個別的呼召是神宏觀呼召的一部分,好讓各人在神的大計劃中扮演獨特的角色。例如,神呼召亞伯拉罕去成為所有神子民的祖宗,神呼召摩西帶領以色列人出埃及,神呼召士師起來拯救被祂交在外邦人手裡的百姓,神呼召先知起來向特定的國家傳講信息,神呼召保羅去向外邦人傳福音等。每一個人都是在同一個大使命裡,卻不失個人的特色。可見,神國的事業不限於特定的職業和任務,它能以各種形式呈現。宏觀的呼召是神清楚在聖經中啟示的,個別的呼召則需要人自行尋求和判斷,包括評估神給各人的恩賜、經驗、裝備以及機會等等。
無論如何,所有的呼召都包含了神要人去完成特定的任務,而這任務也必定與神永恆的計劃有關。這個觀念顯示,從事神國事工主權完全在神,唯有祂所揀選的人有資格和權柄去做屬天的工作,也因為這樣,服事是一項神聖的使命。
2. 過度狹隘的呼召觀
筆者發現一般信徒對呼召常見的迷思有兩種,一是過度狹隘的呼召觀。上週末,在筆者參加的一個小組聚會中,主持人帶領著大家進行討論:「你認為什麼是呼召。」隨即,便有一位組員回答:「呼召就去要人去讀神學、當傳道人。」在一些信仰較初潛的信徒當中,這個觀念蠻普遍的。對他們而言,「呼召」就是神在特定的時間、地點,召喚特定的人去做特定的事,而所謂「特定的事」往往就是指全職服事。
無疑,全職服事確實需要呼召。神學院在面談報讀者的時候,通常也會問:「你有神的呼召嗎?」一個全職服事者若不清楚呼召,很容易就被所遇見的困難、挑戰擊退,或因工作沒果效而灰心喪志。然而,將呼召局限於全職事奉是非常狹隘的觀念,這觀點走到極端,便很容易將神國事業和一般事業聖俗分化。難道那些帶著使命去職場工作的人也算「世俗」嗎?
3. 過度廣泛的呼召觀
另一些人則嘗試將呼召放大。大家一定聽過「信徒皆祭司」這句話,它不單強調信主的人不需要透過特定的媒介(如神職人員)才能與神連結,也強調每一位基督徒都有權柄服事神,不管他是不是「神職人員」。因此,除了一些違背聖經道德原則以及與信仰抵觸的職業(如異教有關的)之外,任何職業都可以是事奉神。神不只是宗教領域的主,更是創造和掌管宇宙萬有的主,就好像在創造萬物之後,神就把亞當安置在伊甸園,並要他修理看守(創二15)。
此外,一些看似偶然的遭遇,背後也有神無法即時測透的計畫。約瑟被哥哥們無辜陷害,被賣到埃及,後來神使他成為宰相,為挽救多年後面臨飢荒的雅各家作了準備(創四十五5~8)。在被擄回歸時期,身在異鄉的以斯帖被選為波斯皇后,這看似一個與信仰無關的身份,當以色列人面對滅族危機的時候,末底改便看出其中有神的旨意(斯四14)。因此,持此觀點的基督徒常強調,我們無論做什麼,都有神的呼召。
有這種覺悟無非是好事,可是,在一般的職場上,有呼召和沒有呼召又有什麼差別?這會不會讓呼召淪為純粹一個抽象的概念和口號,而沒有任何實質的意義?
4. 活出有呼召的人生
上述討論可見,我們不應該過度將呼召狹窄化,但也不能讓它廣泛到一個程度,把任何一種形式的工作或態度,只要是基督徒做的,都冠上「呼召」的名堂。我們應當視所做的一切為呼召,但也必須將呼召的特質注入其中,切勿僅有名而無實。以下是筆者認為一個真正有呼召的人必有的表現。
首先,雖然一個視人生為呼召的人可能和世人從事相同的工作,但他們在動機及目標上和世人有別。世人工作為賺錢、或為理想、或為屬世的其它目的(其中有一些也是善的,如服務人群),神子民終極的目標卻是榮耀神。既是如此,當他所做的無法達到這個目的的時候,他就會檢討和改進。同樣的,在這個過程中他若發現任何事物阻擾了他去達到這個目標,他也會去克服,必要時甚至改換跑道。
其次,一個視所做一切為呼召的人會以聖經的道德與信仰為行事原則,他們拒絕進行任何有違真理的要求和做法,即使那在社會上不被視為有錯。
第三,呼召的觀念應該影響著基督徒生活每個領域,包括如何安排自己的時間、如何管理金錢、以及如何面對他的同事及所接獲的任務。一個視所做的一切為呼召的人,會努力按照神對人的設計去經營生活——該工作的時候工作,該休息、該給家人的時間,他也會分別出來,因為知道我們不僅僅是靠工作的成就和業績來榮耀神,而是以自己的生命來榮耀神。在金錢的管理方面,有呼召者不會以積攢財富的方式來理財,他也不會將所賺得的全部金錢用於提升自己的物質(即便他有權利這樣做),反之,他會按照神在聖經啟示的心意來理財。在工作上,他曉得自己「受差」不只是把工作做好,也是受差去服事身邊的人。
第四方面,如果我們真的視所做的為呼召,我們應該勇於作出新的嘗試,這包括在工作的內容上,以及在待人處世上,目的是讓自己能更好地實踐使命。
最後,讓我簡單回應一個經常被問到的問題:「如果我感覺到『被呼召』去做某件事,我怎麼知道那是出於神還是我個人的衝動?如果去做了而實際上那不是神的感動怎麼辦?」⋯⋯我認為,如果這個感動是關乎比較重大、需要做各種準備、或牽涉廣大的人與事的決定(如,舉家去國外宣教、開拓新的教會等),那確實要需要更多深入的考慮和印證。但如果有感動去做的事,是隨即可以做到的(如,向某人傳福音、或奉獻支持某個事工、或看見需要而想一行動幫助某人),那大可隨即感動去行動,說不定猶豫一下就錯過了服事的機會。神所要我們去做的事,絕不限於神秘的「感動」,祂早已在聖經清楚指示了。
依以上看,你所做的一切是一個普通的工作?還是神聖的呼召?
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蘋果日報の成功と失敗 敗者の回顧録
蘋果日報の成功と失敗 敗者の回顧録
「不党、不売、不私、不盲」は貫かれたか
李怡氏は香港を代表するジャーナリスト。学生時代から左派で親共の立場をとり1970年に評論雑誌『七十年代』創刊したが、中国共産党に反対に転じ、1984年に雑誌を『九十年代』と改称して香港トップのクオリティマガジンに育てた(1998年停刊)。自らも長く寄稿してきた香港紙・蘋果日報(リンゴ日報、アップルデイリー)が6月24日を最後に停刊したのに際し同紙上で、同紙が実業家による創刊で読者のニーズに的確に応えてきた点を評価しながら、「法治」への過信が失敗であったと論じた。李怡氏の許可を得て、本人のフェイスブックから訳出する。【翻訳:富柏村】
蘋果日報の停刊で、そこに連載されていた私の「敗者の回顧録」もまた中断する(訳注1)。
蘋果日報は1995年に創刊され、その年末、私は論壇欄で毎週土曜日に評論「李怡専欄」の連載を始め、2005年から同紙論壇のメインエディターを2014年まで勤め、その間にエッセイや社説の「蘋論」いくつもの論評を書き、2016年から私の半生記となる「世道人生」の連載を今年3月まで続けた。私の半生は月刊誌『七十年代』、その後の『九十年代』の総編集を28年続け、その後、蘋果日報で25年の執筆だったので、半世紀にわたる筆耕の生涯で一半近くが蘋果日報とともに在ったことになる。
この連載のタイトルを「敗者の回顧録」としているが、論筆の仕事、家庭や生活を顧みると、私の半生はけして総じて「失敗」ではなかったが、私が一生のなかでずっと求めてきた「理想」はいま振り返ってみると、幾度となく失望となり、価値観は粉砕され続け、その点から見ると私は「敗者」なのだ。
蘋果日報の停刊前の末期の紙面に、この「敗者の回想録」の終章を書いている。四半世紀にわたりこの新聞に寄稿し編集にも参画し、毎日読み続けた新聞。私の「敗者」の定義からすると、この新聞も敗者である。
しかし忘れてはいけないことは、これまでの香港で発行されてきた新聞のなかで、蘋果日報はかつてはもっとも成功した一紙であったことだ。その成功が失敗に向かった外的要因は、もちろん世界的な紙媒体の衰退とオンラインメディア情報の爆発的な増加だろう。しかし蘋果日報が、その上で停刊を余儀なくされたのは、我々が周知のとおり、強大な権力の介入があり、香港は「礼崩楽壊」つまり社会秩序やモラルの崩壊があり、人権は保障されず法治も蔑ろにされた、その結果でもある。
蘋果日報の創刊者・黎智英(ジミー・ライ)はアパレル業界で成功した実業家で、メディア業界に参入した。連日、編集会議を開いて上級管理職ばかりか読者まで招き、すべての紙面の報道について見出しから記事内容まで余地を残さず評価した。「新聞は読者に読んでもらうものであって、新聞にはトップは一人しかいない、それは経営者でも広告主でも管理職でもなく、読者なのだ」と読者の関心を最優先にした。
黎智英には新聞発行の経験はなかったが、商売の十分な経験があった。従前からの新聞界はジャーナリストや文筆家が集まり辣腕の編集長がそれを取りまとめていたが、我々が蘋果日報に垣間見たのは商才にあふれた商機を逃さない辣腕の経営者の顔だった。
彼のメディア会社・壹媒体(ネクストメディア)社は週刊誌『壹週刊』と『蘋果日報』は発行部数を伸ばし、ゴシップ週刊誌の『忽然一周』やグルメ誌『飲食男女』が次々と評判となり、台湾版の蘋果日報も発行。どれもこれまでの新聞社経営のやり方を打破しての成功だった。
しかし台湾での市場拡大を目指した地元紙の買収や香港でのフリーペーパー発行も失敗……ことに台湾のテレビ局「壹電視」経営は大赤字。蘋果日報は創刊から間もなく発行部数を大幅に増やしたがボス(黎智英)は投資を惜しまず経営コストもかかり利益は上がらない。富裕の青年が編集や論評の方針に一切介入しないことを約束して30億HK$(約420億円)で蘋果日報の買収の手をあげた時も、手元資金の枯渇していた黎智英はこの買収提案を拒絶した。
この蘋果日報発行の長い年月のなかで中国は何度か黎智英の囲い込みを試みている。台湾にいた黎智英のもとに中国側の意を伝えるべく訪れた客を黎智英は保安員を呼んで追い出し、文化界のある大物は黎智英に大陸に戻り(黎智英は大陸生まれで香港への密航者である)中国での新聞発行を唆し、親類を通して北京旅行に誘ってもみたが、黎智英は頑なにそれを拒絶してきた。彼は自立した報道のために一切の妥協や取引を拒んだのだ。
いずれにせよ、この商才ある経営者が設立した「壹媒体」が香港に出現し、従前からの新聞業界に勝る成功をおさめたことは中文新聞史では1926年に張季鸞(訳注2)が『大公報』を中国の近代ジャーナリズム黎明期の代表紙にしたことに匹敵する快挙だろう。
張季鸞は「不党、不売、不私、不盲」という「四不」の原則を示している。特定の政党に加担せず、言論で取引をせず、私益を得ず、権力に盲従せず、つねに公器として公民の言論を代表すること。これは今のメディアにも求められる理念だが、大組織のメディアほど、これに忠実であることは難しく、黎智英もその「四不」のすべてをきちんと理解して実行できていたとは言い難い。
権力に阿(おもね)ることはなかったが香港の民主化実現という言論で民主派政党支持となり、思考と行動が過激化する若年層と距離をとるか近づくか(2019年にはついに「不割席=仲間割れせず協働」と腹を括った)、不党は困難な状況だった。言論で取引も私益もなく、「盲従せぬ」は自明だが、どの程度それができたかは意見の異なるところか。
そんな黎智英の最大の失誤は彼が最も尊重する遵法と法治への過信といえるだろう。1997年(香港の中国返還)の2年前に蘋果日報を創刊した当時、黎智英は中国政府が香港基本法を遵守し、平和的に民主的な香港統治を実現できると信じていたのだ。しかし中国政府が最も忌み嫌う方法論は、暴力的抗争ではなく、法に基づく和平的な手段で人民が自主権を勝ち取ろうとすることなのだ(訳注3)。
蘋果日報がない香港はどうなるのだろうか。少なくとも政界・財界の裏取引を暴くようなメディアは存在しなくなるだろう。例えばキャリー・ラム(林鄭月娥)行政長官が一昨年、中央政府に当てた報告(強硬政策は市民の反感を得るだけ、何らかの妥協が必要といふ内容の彼女の本心を吐露した内容)も蘋果日報が特ダネにしたが、「壹媒体」を除けばニュースの来源を秘匿してニュース提供者を本当に保護するメディアは他にないから、こうした情報提供もありえない。
私が蘋果日報の論壇欄に関わっていた時のアシスタントだったカリーナは昨日、フェイスブック上にこう書いた。「蘋果日報に別れを告げるなんて考えたくもない。どうすれば『精神』に別れを告げることができるだろうか。殊更、今日の香港では……」
「成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは続ける勇気である」(ウィンストン・チャーチル)。「不党、不売、不私、不盲」という「四不」の勇気、それは蘋果日報の「精神」そのものであって、それが人々の心に深く根ざしている。
(2021年6月24日版蘋果日報に掲載)
(訳注1)連載は今後は李怡のフェイスブックで継続される
(訳注2)ちょう・きらん[1888~1941] 日本に留学し東京第一高等学校(後の早稲田大学)に学ぶ。中華民国成立に関わり孫文の秘書務め、ジャーナリストとして『大公報』紙の再建に加わり見事に論陣を張り、中国の近代ジャーナリズムの確立に業績を残した
(訳注3)抗議活動が暴力的であれば武力鎮圧で済むが合法的な手段ではいちいち対応して何らかの交渉や妥協が必要となるから中国共産党政府がそうした手段を嫌うと李怡は見ている
「 不 党 、 不 売 、 不 私 、 不 盲 」 は 貫 か れ た か
李 怡 ジ ャ ー ナ リ ス ト
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